憲法は、衆議院の内閣不信任決議に対して、内閣の側に衆議院解散という対抗手段を与えている。それ以外の場合の解散は、天皇の国事行為の中に「衆議院解散」が列挙されていることのみを根拠とするもので、そもそも、総理大臣の裁量で無制限に解散権が行使できるのかどうかについては憲法解釈上も議論がある。それに対して、この内閣不信任案に対抗する解散権は、憲法が明文で認めているもので、憲法による三権分立制の根幹をなすものだ。震災のために被災地で選挙ができる状況ではないことを理由に、「不信任案に対抗する解散が行えないから安心して不信任案に賛成を」と与党議員に呼びかける自民党側のやり方は、そのような憲法の趣旨を正面から否定するもので、決して賛同できない。
しかし、一方で、解散を恐れる与党議員に対して、「不信任案が可決されたら解散する」と言って脅しをかける民主党執行部のやり方も、震災からの復旧も遅々として進めまない中、今なお避難生活を送る多くの被災者に対してあまりに無神経である。直近の日本の国の運営、政治の在り方を決める上で、最も尊重しなければならないのは未曾有の震災で被災し、国の救援、支援と復興への取り組みを求めている被災者の人達の声ではないのか。その被災者の有権者にどのようにして投票させられるのかすら明らかにしないまま、そして、これまでの震災への対応、原発事故への対応を反省することもなく、「不信任案が成立したら解散だ」とわめいている民主党執行部には、震災復興に向けての政策を論じる資格などない。
要するに、この不信任案をめぐる泥仕合はどっちもどっちであり、まさに国難とも言える日本の状況において、こんな低レベルの政争が行われていることに暗澹たる思いを抱くのは私だけではないであろう。
日本の政治が、なぜ、このような絶望的な状況になってしまったのか。その根本的な原因が、昨年9月の民主党代表選にある。
政権交代後1年、政権与党として取り組むべき課題に正面から向き合い、改革の具体的ビジョンを提示し、堂々と政策論議を行うべきであった民主党代表選を、「政治とカネ」という意味不明の呪文で埋め尽くし、不毛な党内抗争の場にしてしまったことが、政権与党内部に決定的な対立構造を作る結果を招いた。その産物として成立した内閣には、重要な政策課題に正面から取り組むための政治基盤自体が失われていたと言うべきであろう。
このような空虚な政治構造を脱却しなければ、震災からの復興はおろか、日本という国の未来はない。
今、日本の政治には、完全に行き詰った既存の構造とは次元を異にする、全く新たなパラダイムの創造が求められている。


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