SaveJPN

OneJapaneseMom · @SaveJPN

13th May 2011 from Twitlonger

「私のアイコンが白無垢の花嫁である理由」



先月上旬、私は生まれて初めて靖国神社に参拝した。 

「ヤスクニィ!?」 
「コ、コワイ!?」 

私のリア友なら、絶対にドン引きであろう。 

「ウヨクだったの!?」 
「てか、ナンデ?!」 

色々言われるだろうが、構わない。 
行ってみたいから行ってみた。それだけのこと。 


行くからには、いくらアメリカ帰りでもTシャツにジーンズはなかろう。日本人女性としてきちんとして行きたい。出発前にそう決めていたから、襦袢と足袋だけは自分の物をアメリカの自宅から持参し、着物と下駄を友達に頼んで用意しておいてもらった。 


4月初旬の九段下は、桜がこれ以上ないほどに満開で、遠路はるばる飛行機に乗ってこの季節に帰って来て本当に良かったと思った。美しい。あぁ、これがわが祖国、永年会いたかった日本だと思った。 

出発前、東日本大震災で祖国が大被害に見舞われ、周りは春休みの一時帰国をキャンセルする人が続出。不安でなかったと言えば嘘になる。 
いったい日本はどうなってるんだろう? 
何か甚大な、予想だにしない事が起こってるんじゃないだろうか? 
ツイッターでTLを眺める限りは大丈夫そうだが、実際はどうなんだろう?考え出したらキリがない。 

そんな私の不安をよそ目に、短い命をせいいっぱい謳歌する桜の花は、自己主張しないくせに息苦しいほどの圧巻だった。 
当たり前のことだが私達日本人は、何世代もの人々がこうやって同じように桜を愛でてきた。その重さに、その脈々たる想いに自分は、日本人としてちゃんとやってるか?と問い質されるようで、潰れそうになる。すみません、申し訳ない。不甲斐ない自分に頭を垂れるしかなくなる。 


桜を楽しむ家族連れを縫うようにして本殿にお参りし、遊就館を急ぎ足で巡る。 

一番見たかった花嫁人形の前に立った時、私はいったん大きく深呼吸し、そして涙する。 

英霊の方々は、日本という国を護るために、周りに祝福されて祝言をあげ子供を持ち、仕事を持ち、生涯を幸せに暮らすという、普通の人が当たり前に送るであろう人生を諦めて下さった。その事実を、今の日本人のどれだけの人が知り、すみません、ありがとうございましたと感謝しているというのか。私もかつてはそうだった。なんで負けると分かってる戦争に行ったんだよと。なんで戦争回避に最大の努力をしてくれなかったんだよと。どう考えてもアメリカなんかに勝てるわけなかったじゃんかと。自ら命を捨てに行くなんてバカだよ…と。 



先の戦争が侵略戦争でなく、戦わざるをえなかったものだったと知ったのは、結婚してアメリカに移住し、子供が二人とも小学生になってからだった。こんなになるまでなにも知らなくてごめんなさい。いや、むしろただの一度たりとも知ろうと努力しなかったことにごめんなさい、だ。国際結婚をしてアメリカに骨を埋める覚悟で渡った私にとって、日本はもう、知ったこっちゃない、どうでも良い国だった。ニュースで伝えられる日本は、草食系男子だの、酩酊会見だのと、堕落した情けない国でしかなかったのだ。 

結婚してすぐ、母が言った。 
「あんたが日本を離れてから日本はダメになる一方よ」 
ちょうどバブルが弾けた頃だった。 


靖国にお参りするにあたり、これがアメリカであればと考えた。ワシントンDCからポトマック川を渡った芝生の美しいアーリントン墓地に行けば、誰に咎められることなく家族と友人とともに墓標の前に立ち、戦った人々を想い、涙を流すことができる。センチメントでも何でもない。国を護ろうとした人に敬意を払う、それは他国の人が干渉することなど断固として、当たり前として許されない神聖な場所なのだ。なのに日本だけなぜ責められるのか?一体、責めている近隣諸国のどれくらいの人が、靖国にはご遺体などなく、祀られているのは英霊の「魂  だ  け」である事実を知っているのか? 


キラキラと純白に輝く衣装をまとった花嫁人形を前にして私は、そもそも花嫁姿とは、日本人が平和的である事の象徴なんだなとも考えていた。経験から言うと、花嫁衣装は重い。動けないし、飲み食いもできない。自分で立ち上がろうにも立ち上がれない上に、いちいち所作まで気にしないといけない。不便そのものだ。しかし、世界中の文化で女性が虐げられることが多い中、女性がこれほどまでに輝ける衣装を身にまとうことのできる文化が他にあるであろうか?昔の事だから本意でない婚礼もあったろう。だが、襲われる恐れ、略奪の恐れ、そういったことがまったくない、安全が保障された平和的な文化であったからこそ、日本の伝統的な婚礼は行えたのである。花嫁は穢されることを恐れずに安心して純白の白無垢をまとい、後には婚礼の日そのままに輝く絹の衣装を、娘や孫娘何代にも渡って託すことができたのである。 


そんな事を思いながら、私は、たぶんしばらくは見ることができなくなるであろう美しい花嫁人形をあとにした。せっかくの着物姿なのに目を腫らせ、鼻をズルズルとすすりながら。 




今、私のデスクには、小さい頃から憧れていた文金高島田に浮かれ、ピースサインを出している白無垢姿の私の写真がある。この時、父に不謹慎だと怒られたのを覚えている。思えば、当時の私は、結婚相手にも、自分にも、ましてや日本という国に対しても、何に対しても責任を負おうなどと考えたことがなかった。何か責任を負わなければならないと思ったことすらなかった。 


女性として何度でも着たくなる白無垢。愛する女性の花嫁姿を見る事なく散っていった英霊の方々が引き受けて下さった責任を、微々たるながらも受け継いでいく緊張感と満足感に、私の心は毎日溢れているのである。 

www.twitter/saveJPN

Reply · Report Post