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28th Apr 2011 from Twitlonger

重松逸造について


 水俣病と大気汚染公害など、あらゆる影を背負って、その内部から原子力発電所が誕生した。また、その影を背負って、薬害エイズが誕生してきた。それが、岸信介、鮎川義介、久原房之介、武田長兵衛、宗像英二、五島昇、中曾根康弘へとつながる一族を中心として生み出されたものであったことが、系図から見事に浮かび上がってくる。それは、満州から水俣病へ、さらにスモン病から原発、薬害エイズへとつながる人間の縮図であった【系図11――満州利権者と朝鮮窒素と水俣病】。

 ”もんじゅ”の事故発生責任者が、”もんじゅ”の事故調査メンバーを兼任していることが多くの人によって批判されてきた。その理由は、このような集団が人選する原子力の世界にあったのである。この構造は根深い。

 そして今の時代[引用者注:1996年]に、重松逸造(いつぞう)という疫学者が、大きな問題を引き起こしている。国際原子力機関(IAEA)が組織したチェルノブイリ原発事故の被害を調査する団長となった重松は、チェルノブイリ被曝現地を訪れながら、まったく放射能障害がないかのような結果を報告して、全世界からの怒りを買ったのである。安倍英と同じ海軍出の重松は、国立公衆衛生院で慢性伝染病室の室長をつとめたあと、スモン病・イタイイタイ病・川崎病などの研究班長を歴任しながら、いずれもこれらの公害の発生原因である物質をあたかも「シロ」であるかのように判定した人間であった。イタイイタイ病では、認定患者150人のうち、すでに134人が激痛のうちに死亡しながら、「カドミウムによる発症の過程は解明できなかった」とする中間報告を89年4月8日に発表し、全国の学者から痛烈な批判を浴びてきたのが重松である。

 以前から、重松逸造によってスモン病やイタイイタイ病と原発が結びつく関係に不自然さが感じられ、この人物は不思議な存在だと思われたが、前述の深い人間関係を考えるとき、重松が彼ら一集団のために”理論的裏付け”をおこなう疫学者となって、一手に公害問題を引き受け、加害者の犯罪行為を隠すために動いてきたことは明白である。この重松が、96年現在、日本の国民生活をおびやかしてきた病原性大腸菌Oー157による集団食中毒の原因解明に乗り出し、9月26日には、「原因食材としては、特定の生産施設から出荷されたカイワレダイコンが最も可能性が高い」とする厚生省の最終報告書を発表した菅直人厚生大臣の記者会見に同席し、カイワレダイコン原因説を強調した。なぜ厚生省の官僚は、重松を利用したのであろうか。カイワレダイコンは、本当に原因食材なのであろうか。

 この食中毒事件は、単純な伝染によるものであろうか。

 重松が広島の放射線影響研究所の理事長として君臨してきたことは、もう一つの大きな問題である。ヒロシマ・ナガサキに原爆を投下した米軍が、被爆者をモルモットにして、原爆が人間にどのような影響を与えるかを調査したABCC(原爆傷害調査委員会)が、75年に改組されたのが、放射線影響研究所である。

 ここには当然、日本人集団だけの問題ではなく、彼らとアメリカが連帯した「何か」が存在するはずである。それは、どのような取引きであり、いつからはじまったのか。

 GHQは無関係なのであろうか。

 原爆被爆・原子力被曝と薬害・公害は、いずれも同じ社会的構造で引き起こされた、と私は考えてきたが、それだけでは、完全な答ではなかった。同じ社会的構造ではなく、いずれも同じ人間集団によって引き起こされていたのだ。

※広瀬隆『腐蝕の連鎖 薬害と原発にひそむ人脈』(集英社、1996年)p.264~268より

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