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31st Mar 2011 from Twitlonger

「汚された大地で~チェルノブイリ 20年後の真実~」書き起こし
2006年4月16日放送(制作:NHK)

■動画
http://www.youtube.com/watch?v=PHeq8TfSRBM (1/5)
http://www.youtube.com/watch?v=8hXmoNuJHKs (2/5)
http://www.youtube.com/watch?v=Fgx1mcUgHnA (3/5)
http://www.youtube.com/watch?v=BiFTMaApEpw (4/5)
http://www.youtube.com/watch?v=ZK7T6BDiB1c (5/5)

(書き起こし開始)

 旧ソビエト・ベラルーシに広がる森林地帯。行く手に立入禁止区域が現れた。

「立入禁止です。入るには許可証が必要です」

 20年前チェルノブイリ原子力発電所から撒き散らされた放射性物質が、今も大地を汚染し続けている。

 1986年4月26日未明、旧ソビエト、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発した。屋根が吹き飛ばされ、大量の放射能が漏れ出した。放射性物質の除去や原発をコンクリートで覆う作業などに60万の人々が動員された。十分な防護策も施されず、強い放射線を浴びながら働いた人々。ロシア語で「リクビダートル」(後始末をする人)と呼ばれた。それから20年。旧ソビエトの各地で暮らすリクビダートルに今、癌が多発している。
 放射性物質が飛び散った汚染地帯は原発から600kmにまで及び、500万人が被曝した。放射性物質は除去されておらず、今も放射線を出し続けている。長期にわたって被曝した人からは、染色体の異常が相次いで見つかっている。先天的な病気を持って生まれてくる子どもも増えているため、被曝との関係が研究者によって調べられている。

 チェルノブイリ原発の惨事から20年。汚染された大地で今何が起きているのかを追った。

(テロップ「汚された大地で~チェルノブイリ20年後の真実~」)

 チェルノブイリ原発から南に120km。ウクライナの首都キエフ。ここに旧ソビエト政府が、リクビダートルとその家族4万人に提供したアパートがある。アパートの前に人だかりができていた。
 リクビダートルの男性の葬儀だった。44歳。心臓病で亡くなった。
 このアパートではここ数年病気で亡くなる人が急増。移住してきた4万人は2万人にまで減っている。

住民: 「人が次々死んでいきます。私の父もリクビダートルでしたが、45歳で亡くなりました。みんな50歳までもたないんです」

 最近、リクビダートルに特に多発しているのが癌だ。

 リディア・ツァリョバさん、65歳。5年前、腸に癌が見つかり手術を受けたが、未だに食事がほとんどとれない。ツァリョバさんはチェルノブイリでトラックの運転手をしていた。事故後も4年間、原発の中で放射能を測定する仕事に携わった。しかし、自分がどれだけ被曝したかは知らされなかった。

リディア・ツァリョバさん: 「当時はどれくらい危険なのかよく分かりませんでした。身体に異常も感じませんでしたし、後になってこんなにひどいことになるなんて思いもしませんでした」

 ビクトル・ガイダクさん、65歳。一昨年、胃に癌が見つかった。胃を全て切除し、一日の大半をベッドで過ごしている。事故の時、隣接する原子炉で建設作業に携わっていたガイダクさん。その後も、原発内で仲間のリクビダートルの浴びた放射線量をチェックする仕事を9年間続けた。ガイダクさんは自分の浴びた放射線量を記録した書類を持っていた。事故が起きた年の線量は50レントゲン(50R)。その後線量は減ったが、9年間放射線を浴び続けた。

 放射線の人体への影響は、広島・長崎の原爆被爆者12万人の追跡調査によって明らかにされてきた。事故の年にガイダクさんが浴びた50レントゲンは、広島では爆心から1.5km付近での被曝に相当する。広島では十数年から二十年を経て癌になる人が増えた。

 事故から18年を経て発症したガイダクさんの癌。広島の被爆者と符合する。酒も飲まず、タバコも吸わず、健康に暮らしてきたガイダクさん。突然の発病だった。

ビクトル・ガイダクさん: 「私は自分の健康を差し出してしまったんです。健康より大切なものなんてないのに。取り返しのつかないことをしてしまいました」

 ガイダクさんが大切にしているものがある。国家の危機を救った英雄として授与された勲章だ。

(敬礼しながら行進する映像)

 事故の後、ソビエト政府の表彰式に参列するリクビダートルの映像。

「チェルノブイリ原発において事故処理に当たった諸君、勇気をたたえ表彰します」

 リクビダートルには危険な労働の代償として、住まい、高額な年金、無料の手厚い医療などが生涯保障された。しかし、事故から5年後ソビエト連邦が崩壊。60万人のリクビダートルは、分離独立したウクライナ、ロシア、ベラルーシなどに分かれて暮らすことになった。保障されていた特権はそれぞれの政府に引き継がれた。しかし、経済の低迷が続く中、年金は大幅に目減りし、医療費も事実上自己負担を求められている。

ビクトル・ガイダクさん: 「私はリクビダートルとして、国のために一生懸命働いてきました。国が起こした事故のために。それなのにどうして私たちを見棄てるのでしょうか」

(色あせた、町の映像)

 事故当日、ガイダクさんたちが住んでいた町を撮影した映像。白く光るのは放射線によってフィルムが感光した跡だ。

 原発から4km。ガイダクさんの家族や住人は重大な事故が起きたことを知らされず、避難命令が出るまでの一日半、大量の放射線を浴び続けた。

 今、リクビダートルだけでなく、その家族にも癌が広がっている。ガイダクさんの妻リディアさんは、ガイダクさんが胃癌に倒れた直後、子宮癌を発病した。しかし、まだ手術を受けられずにいる。ガイダクさんの手術で貯蓄を使い果たし入院できないのだ。

ビクトル・ガイダクさん: 「なぜ、これほど救いのない状況に追い込まれなければならないのでしょうか。ひどい話です。私は、人生を共にした伴侶を救うことすらできない男になってしまったんです」

 広島で癌が本格的に増えたのは被曝から20年経った後のことだ。リクビダートルとその家族の癌は、今後さらに増える可能性がある。

(報告書「チェルノブイリ事故 被災者の健康状態」のアップ)

 ウクライナに住むリクビダートル20万人の健康状態を、国の研究機関が追跡調査した結果だ。癌による死者の調査は、事故の6年後(1992年)から、資金不足のために打ち切られる2000年まで9年間、毎年行われた。

(「リクビダートルのがんによる死亡率」のグラフ)

 リクビダートルの癌による死亡率は、事故後年々上昇し、2000年には一般の人の3倍に達していたことが分かった。

 この調査を行った、ウクライナ放射線医科学研究所の所長ボロディミール・ベベシュコ博士。リクビダートルの癌による死亡率はさらに上昇している、と考えている。

ウクライナ放射線医科学研究所の所長ボロディミール・ベベシュコ博士: 「放射線が他の要因と合わさることで、健康に悪影響を与えていることは紛れもない事実です。人々を悪性腫瘍、つまり癌から守ることを最優先に考えなければなりません。そうしなければ多くの人が亡くなってしまいます」

 しかし去年、チェルノブイリの事故と健康被害との因果関係を限定的に見る報告書が発表された。

(IAEA本部の映像)

 オーストリア、ウイーンに本部を置くIAEA(国際原子力機関)。IAEAは、世界各国から100人を超える科学者を招集し、チェルノブイリ事故の被害を客観的に評価するためとして会議を開いた。この席で、エルバラダイ事務局長はこう発言した。

「死亡者が何万人にも上るという誤った情報が、事態をさらに悪化させた。原子力産業への根深い不信をもたらした」

 欧米では事故後、大規模な原発反対運動が起こり、原発の新規の建設が次々と中止に追い込まれた。原子力の平和利用を推進するIAEAにとって憂慮する事態が続いていた。
 去年9月、マスコミや一般向けに発表された会議の報告書は、被害の規模や因果関係の認定について厳しい姿勢を打ち出した。

「事故の死亡者が何万人何十万人にのぼるという主張があるが、これは誇張である。多くは、放射線の影響というより貧困や医療の不備によるもので、酒の飲み過ぎ、タバコの吸いすぎの方が問題である」

 そして、リクビダートルの死者については、

「被曝が原因で死亡した可能性があるのは50人」

と記している。

 この報告書に対して、各国の研究者から反論が相次いだ。リクビダートルの健康被害を調査したベベシュコ博士も、ウクライナの代表としてIAEAの会議に参加した。しかし、提出した資料は「信頼性に疑問がある」として採用されなかったという。

ウクライナ放射線医科学研究所 ボロディミール・ベベシュコ博士: 「彼らのやり方には不満を感じています。チェルノブイリによる健康被害が過小評価されています。私たちの考えを改めてIAEAに送るつもりです。その上で訂正してもらいたいと思っています」

 チェルノブイリ事故では、およそ40種類の放射性物質が大量に大気中に放出され、風に乗って広い範囲を汚染した。大地に撒かれた放射性物質は、さまざまな形で人体に取り込まれ、20年後の今、新たな健康被害を引き起こしていると考えられている。

 ベラルーシのブレスト州。チェルノブイリ原発から400km離れたこの地で、体調の異変を訴える人が急増している。

 広島の甲状腺の専門医、武市宣雄さん。事故後繰り返し現地を訪れ、診察を行ってきた。今回が10回目の訪問だ。武市さんは、数年前から中年女性の甲状腺癌が目立って増えてきたと実感している。

武市宣雄医師: 「(顕微鏡を覗きながら)これは間違いないですね。癌です」

 甲状腺の組織の顕微鏡画像。青く突き出ている部分が腫瘍である。

武市宣雄医師: 「癌がですね、1、2、3、…」

 3日間で検査した52人の内、武市さんは7人を甲状腺癌と診断した。

武市宣雄医師: 「これは多いですね…」

 武市さんが現地で診療を始めたのは事故の5年後。子どもに甲状腺の異常が増えていると聞いたからだ。診察してみると、広島・長崎の被爆者ではほとんど見られなかった、小児甲状腺癌が次々と見つかった。

(「甲状腺癌の手術数」グラフ。90年代半ばがピーク。)

 事故から10年後には小児甲状腺癌は、事故前のおよそ100倍に急増。IAEAも被曝が原因だと認めた。事故から20年。小児甲状腺癌はほとんど見られなくなった。代わって大人の甲状腺癌が急増している。

(「甲状腺癌の手術数」グラフ。46歳以上が右肩上がりに上昇。)

(放射性ヨウ素の汚染地図)

 子どもに甲状腺癌を引き起こしたのは、原発から放出された放射性ヨウ素だ。原発の北にあるベラルーシは、風向きの影響で国土のほぼ全域が汚染された。ヨウ素は数ヶ月にわたって放射線を発し、200万人が被曝した。
 さらに、大地に撒き散らされた放射性ヨウ素は、農作物や牛乳などを通してヒトの身体に取り込まれた。体内から被曝することから「内部被曝」と呼ばれる。
 子どもの甲状腺は、成長に必要なホルモンを出すため、大量のヨウ素を吸収しようとする。甲状腺に蓄積された放射性ヨウ素が、癌を発症させたと考えられている。
 武市さんは、吸収した放射性ヨウ素の量が少なかった大人も、被曝から20年経った今になって、次々と癌を発症させている可能性があると考えている。

 事故の後、毎日畑に出た上、畑でとれた農作物を食べていたというスベトラーナ・ワデイコさん。この日の検診で甲状腺癌と診断された。

スベトラーナ・ワデイコさん: 「私には事故の影響はないと思っていました。その後も健康でしたから。でも、そんなことはなかったのですね。私も犠牲者になってしまいました」

 IAEAの報告書は被曝による大人の甲状腺癌の増加を認めていない。増加は、検査技術の向上によって発見が増えているからだとしている。 
 現地に15年通い続けている武市さんは、起きている事実を直視すべきだと考えている。

武市宣雄さん: 「大丈夫ですよという報告が出るのは、ある意味では、そんなにひどいものではない、という安心感を与えるつもりかもしれません。しかし実際に、癌の人が汚染の軽い人にも多いんだったら、それは出していただかないと。早く見つけて早く治療してあげれば、その人たちは長生きできるんですよ、ということも言わなければいけませんね」

 チェルノブイリ原発から放出された40種類もの放射性物質の中には、今も放射線を出し続けている物質がある。汚染が続く地域では、低い線量でも長期にわたる被曝が新たな健康被害を生み出している可能性が指摘されている。

 チェルノブイリから130km。ベラルーシ南部のゴメリ州に被曝者の専門病院がある。

(「放射線医学人間環境研究センター」の映像)

 ここで最近白血病の患者が増えている。2年前、白血病患者のベッドを事故前の2倍、70に増やしたが、空きのない状態が続いている。

 レオニード・ブラフコさん、36歳。去年5月、急性白血病と診断された。副作用の強い抗がん剤治療を続けている。
 事故の時16歳だったブラフコさんは、重大な事故だという情報がなく、毎日屋外でサッカーをしていた。事故後も同じ町に住み続け、結婚して子供をもうけた。去年突然、体に痣のようなものがいくつも現れ、高熱に襲われた。
 
レオニード・ブラフコさん: 「去年までは普通に生活していました。放射線のことは気にしたことはありませんでした。なのにある日突然、病気に襲われ、悪くなる一方です」

(セシウムの汚染地図)

 大地を汚染し続けるのは、チェルノブイリ原発から放出された放射性物質の一つ、セシウムだ。300年にわたって放射線を出し続ける。濃い紫色のところは、大量のセシウムで汚染され、立ち入りが禁止されている。しかし、それ以外のほとんどの地域では、人の居住は制限されていない。ブラフコさんが住んでいたのもこうした地域だった。

 ゴメリ州カリンコビッチ。ブラフコさんはセシウムによる低線量の被曝が続くこの町で、事故後19年間暮らし続けた。今も妻のナターシャさんが息子と暮らしている。
 (ケータイの呼び出し音が鳴る。)夫のブラフコさんからの電話だ。

「もしもし」「俺だけど」「元気? 私は大丈夫よ、あなたは?」

 国はこの町が今も汚染されていることを認めているが、住民には特に説明していない。

(夫婦が寄り添う写真)

 去年5月、夫婦で撮った写真。この翌日診察を受けたブラフコさんは、そのまま入院した。事故から19年、突然の発病だった。

ナターシャ・ブラフコさん: 「ただ信じられないという思いでした。先生に、白血病なんて何かの間違いじゃない? こんなことあり得ない、と言いました。先生はしばらく何も答えてくれませんでした。そして、私にも分からないことが起きている、と言ったんです」

 ブラフコさんは病状が悪化し、無菌室に隔離された。

(無菌室での診療風景)

 医師が撮影した映像。熱は連日39度を超えていた。
 これまでブラフコさんのような低い線量の被曝と癌や白血病との因果関係は認められてこなかった。しかし最近、低線量でも長い間被曝すると、白血病や癌を引き起こす可能性があるという研究が相次いで発表されている。
 その一つ、国連の「国際がん研究機関」[IARC:International Agency for Research on Cancer] の論文。

(論文「低線量被ばくとがんのリスク」の映像)

 長期にわたって低線量を被曝している、世界15ヶ国60万人の原発労働者を調査したところ、癌や白血病で亡くなった人のうち1~2%が被曝が原因だった可能性のあることが明らかにされた。
 論文を発表した、国際がん研究機関エリザベス・カーリス博士。たとえ発病するリスクが小さくても、数百万人に及ぶ住民が今も長期に渡って被爆している実態は見過ごせない、と主張する。

国際がん研究機関 エリザベス・カーリス博士: 「チェルノブイリで被曝した人たちは、事故後ずっと放射線を浴び、それは今も続いています。被曝している人の数も膨大です。低い線量であっても白血病や癌を発症する危険性を無視してはいけません」

 しかし、この主張は、去年9月のIAEAの報告書には盛り込まれなかった。「この程度の被曝で白血病が増加している証拠を掴むのは到底無理だ」としている。

 ベラルーシでは今も多くの国民が、汚染地でとれた農作物や家畜を食べ続けている。これまでベラルーシ政府は、汚染された土や家屋を除去するなど、多い年には国家予算の2割を費やして対策を行ってきた。
 先月三選を果たしたルカシェンコ大統領は、汚染地の再利用に乗り出している。放射能を恐れ、人が住まなくなったゴメリ州の農地に新しい住宅を建てた。人々に帰ってきて農業を再開するよう呼びかけている。

ルカシェンコ大統領: 「(人々に向かって)事故を忘れるのはよいことです。代わりに私たちが覚えておきますから。政府は国民に恐怖を植え付けすぎたのです」

 事故から20年。低い線量による長期被曝の影響が解明されていない中、ベラルーシ政府の汚染対策が転換し始めている。

(ミンスクの映像)

 20年に及ぶ「低線量長期被曝」で、もう一つ懸念されていることがある。産まれてくる子どもへの遺伝的影響だ。

 広島大学名誉教授の佐藤幸男医師は、遺伝的影響の調査のため、ベラルーシをこれまで50回以上訪れている。広島では、被曝による遺伝的影響は確認されていない。しかし、佐藤さんは、広島とは違う長期にわたる被曝の影響を懸念している。

広島大学名誉教授 佐藤幸男医師: 「広島のデータというのは非常に参考にはなりますけれども、決してオールマイティじゃないですよね。ご存じのように被曝の型も様相も違いますから。広島の考えを即こちらに持ち込んで、その通りでないといけないという目で見るのは間違いだと思います」

(ゲンナジー・ラジューク博士と再会する様子)

 佐藤さんは、ベラルーシで40年にわたって遺伝の研究を行っているゲンナジー・ラジューク博士と共同調査を行ってきた。二人はこれまで、低線量を被曝し続けている住民の染色体を調べてきた。

(染色体の画像)

 異常が見つかった血液の細胞の染色体。(画面上)矢印の染色体がちぎれ、別の染色体にくっついている。染色体の異常が精子や卵子の生殖細胞で起きれば、子どもに先天的な病気が現れる可能性がある。
 汚染の続くゴメリと、汚染のほとんどないミンスクで、事故後産まれた子どもに染色体の異常がどの程度見つかるか、その頻度を比べた。この調査では、ゴメリで産まれた子どもに染色体の異常が見つかる頻度は、ミンスクの10倍に上った。

(「先天的な病気を持った子どもの数」のグラフ)

 先天的な病気を持つ子どもの数も調べた。ベラルーシでは以前から先天異常の研究が行われていたため、事故前のデータがある。調査の結果、事故後先天的病気を持つ子どもの数は、およそ2倍に増えていることが分かった。
 IAEAは、事故による遺伝への影響を一貫して認めていない。「発見と報告の制度が整備されたことで、先天的異常の子どもの登録数が増えた」としている。

 二人は新たな調査を始めている。ベラルーシ各地で生まれた、先天的な病気を持つ137人の子どもとその親の染色体を調べた。
 子どもに見られる血液の細胞の染色体異常が親にも見つかれば、親にも先天的な病気があり、それが受け継がれたものと考えられる。親に染色体の異常が見られない場合は、被曝も含む何らかの理由によって、親の生殖細胞の染色体に突然変異が起きたと考えられる。その突然変異の割合を、汚染地と、それ以外の地域で比べた。子どもの先天的な病気が親の生殖細胞の突然変異によって起きた割合は、汚染のほとんどない地域では68%、これに対して汚染地では89%に達した。調べた親子の数はまだ少なく、二人はさらに調査が必要だと考えている。

広島大学名誉教授 佐藤幸男医師: 「少ない線量で染色体の異常があって、それが次の世代に伝わって、染色体の疾患が生じるということは十分に考えられうることで、これはもう、長期にわたって観察しないと結論がまだ出せない段階だと思います」

 佐藤さんは、ラジューク博士とともに、調査で染色体の異常が見つかった人との交流を続けている。この日は首都ミンスクのアパートに暮らすある一家を訪ねた。ビクトル・マシコさんの家族だ。マシコさんの3人の子どもと甥と姪、合わせて5人のうち4人に染色体の異常が見つかっている。一家はチェルノブイリから60kmのゴメリ州ナローブリャに5年間住んでいた。大量のセシウムが撒き散らされた地域だ。
 長女のオリガさん、20歳。生まれて6ヶ月の時事故が起き、5歳まで汚染地で暮らした。このアパートに移った後、血液細胞に染色体の異常が見つかった。

(赤ん坊の写真)

母: 「これがオリガです。事故から5日後に撮った写真です。人生の中で最悪の日ですよ。この日まで事故のことは何も知りませんでした」
父: 「メーデーで、万歳、って叫んでましたよ」

ビクトル・マシコさん: 「私たちは5年間汚染地帯に暮らしていました。ですから、娘たちの子ども、さらにその子どもに何かが起こるかもしれません。何も異常がないことを祈るだけです」

 血液細胞の染色体異常は、遺伝に直接つながるわけではない。健康にも今のところ問題はない。しかし、幼い頃5年間被曝していたという事実はオリガさんに重くのしかかっている。

オリガさん: 「傍目には元気に見えるかも知れませんが、忘れることはできません。放射能、事故、そこからは逃げられないんです」

 佐藤さんの妻は原爆の被爆者だ。同じ不安を抱えてきた広島の被爆者のことを話すなどしてオリガさんたちを支えている。

広島大学名誉教授 佐藤幸男医師: 「この家庭もね、特に明るく生きていこうという前向きな姿勢は非常に共感できますが、それだけに、その裏には深い、背負ったものがあるだろうと。20年は一つの節目ですけど、別な視点で見ますと、今からがまた様々な問題の始まりといいますか、子どもさんが成長して、また次の世代に移っていくという意味では、今からまた新しい問題が始まっていくというふうに思っています」

 去年9月IAEA(国際原子力機関)が出した報告には、会議に参加した各国の専門家や各国から異論が相次いだ。批判を受けたIAEAは先月、改訂版を発表した。何ヶ所か修正が加えられている。
 「癌による正確な死者数は推定が不可能」とした上で、「リクビダートルの死者を50人」としていた記述を「現在把握できているのは50人」と改めた。
 白血病については、「増加している証拠を掴むのは到底無理だ」という表現が削除され、代わりに「調査を継続すべきだ」という一文が加えられた。
 遺伝的な影響についての記述には変わりがなく、「遺伝的影響はこの程度の線量では起こりえない」としている。

(ウクライナ、キエフ)

 リクビダートルが暮らすウクライナのアパート。この日も癌で亡くなった住民の葬儀が行われていた。

(ベラルーシ、ゴメリ)

 ベラルーシ、ゴメリの被曝者専門病院。この3ヶ月で15人が白血病で亡くなった。ブラフコさんの病状はさらに悪化している。一切の面会は謝絶。正常な白血球がほとんど失われていた。
 妻のナターシャさん、医師から助かる見込みはほとんどないと告げられていた。

(電話の声)ブラフコさん: 「話すこともうまくできないんだ。喉が痛いし。窓も開かないのになんで俺は風邪をひくのかな。でも前を向かないと、もがかないと、おぼれてしまうからな。生きたいよ、家族のために」

 人類史上最大の核汚染、チェルノブイリ原発事故から20年。事故の幕引きの動きがある中、真実を突き止めようとする医師たちの治療と研究が続いている。500万人を超える被曝者に何が起きているのか、明らかにされるのはこれからだ。

テロップ「汚された大地で~チェルノブイリ20年後の真実~」

[取材協力]
放射線被曝者医療国際協力推進協議会
今中哲二
カタログハウス
ジュノーの会
チェルノブイリ支援運動九州

[語り] 広瀬修子

[共同製作] NHKエンタープライズ
[制作・著作] NHK

(終)

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