prspctv

perspective · @prspctv

29th Mar 2011 from Twitlonger

NHKラジオ第1「ラジオあさいちばん」ビジネス展望
http://www.nhk.or.jp/r-asa/business.html

3月29日放送分
内橋克人「原発安全神話はいかに作られたか」

(書き起こし開始。なお、1~3の見出しは便宜上のものである。)

 災害の発生から18日過ぎた。被災された方々の苦しみは、日一日と厳しくなり始めている。親族を失った方、避難所で辛い時間を過ごしておられる被災者の方々が本当に復興へ向けて一歩を踏み出すにしては、あまりに過酷すぎる現実ではないか。その上、人災。私は福島第一原発事故はまさしく人災と思う。それが追い討ちをかけている。「原発は安全でクリーンなエネルギーだ」と嘘を唱えてきた。その安全神話が崩れ、地震津波という自然災害に加えて、人災が今、追い討ちをかけてしまった。
 原発安全神話はどのように作られたか。
 島の電力会社はもちろんのことだが、科学の名において「安全だ」と主張してきた夥しい数の学者、研究者、行政の責任は免れない。原発推進は今も各地で続いているのだから。


1.原発立地をめぐる行政の「公開ヒアリング」の問題

 私は29年前(1982年)『原発への警鐘』(講談社)という本を書いた。ある雑誌の連載を本にしたものだ。
 当時、原発立地をめぐって住民と話し合う「公開ヒアリング」が開かれていた。そのありさまも詳しく書いた。公開ヒアリング、今はこれさえ行われていない。例えば、島根原発2号機を増設するときに、「住民の声を聞く公開ヒアリング」というものが丸2日間行われた。私はその全てを取材した。忘れられないのはある主婦の悲痛な言葉だった。
「もし原発に事故があったら、私達はどうやって逃げろと言うのですか。宍道(しんじ)湖を泳いで逃げろと言うのですか。なぜそんな大切なことが安全審査の対象にならないのですか」と。
 この方は、予定地のすぐ側に住んでおられる子供二人を持つ主婦の方。必死の質問をしておられた。その時の様子が今もはっきり記憶に残っている。この悲鳴とも言える質問に対して、当時の原子力安全委員会は何の答えもせず、「本日は、原子力安全委員会としては、皆様のご意見を伺う為に参っておりますので、安全委員会としての意見を表明することはご容赦願います」とそれだけ言って突っぱねてしまった。住民の不満の声で会場が騒然とする中、そうした声を一切無視して、「次は通産省(今の経済産業省)の方、ご説明をお願いします」といった具合で、どんどんリジッドに物事を進めてしまった。
 住民と意見を戦わせて議論をする場ではなく、住民の意見を聞くだけが目的だと会場に徹底させる、それが原子力委員会の役割だった。こういうことが初めからはっきりしていた展開だった。
 こういうことに一役買ったのが、研究者、学者と呼ばれる人たちだった。反対する住民や、原発に警鐘を鳴らす者は、「科学の国のドンキホーテだ、時代遅れの素人だ」という扱いだった。
 原発安全神話が崩れた今、このような形で進められた原発大国であるが故に、これからのエネルギー選択のあり方をめぐって、その前途は一層厳しくなってくることを考えてほしい。


2.原発PA戦略の徹底ぶり

 次に、(本の中でも詳しく書いたことだが、)原発PA戦略(パブリック・アクセプタンス Public Acceptance)の徹底ぶりを挙げなければならない。PA戦略とは、原発を社会に受け入れさせるための戦略的な働きかけのことをいう。
 これは大きく3つの柱から成り立っている。壮大な規模で展開されてきた。
 第1に、電気事業連合会(電事連)が行ってきた、言論に対する抗議戦略。様々な報道機関、メディアに送り続けた抗議書。これは「関連報道に関する当会の見解」という共通見出しが付いている。膨大な量に上っている。私はそのほとんどを集めている。(内容は時間がないので今日は触れられない。)
 第2に、小学校低学年から中学高校まで「エネルギー環境教育」という名の原発是認教育が授業として実施されてきた。社会、理科、総合などの授業で児童・学生等に教師が教え込んでいく。そこで採点して、それが生徒の成績まで左右することになっている。
 第3に、何と言っても名の知れた文化人を起用し、「いかに原発が安全か」ということを語らせる「パブリシティ記事」である。あらゆるメディアを使って展開してきた。費用も膨大だったはずだ。男女の文化人を原発施設に案内し、滅多に公開されることのない地下の施設などで、男女の文化人をヘルメット姿で立たせて語りをやらせる。それを記事にする。名の知れたあるテレビキャスターは「原子力問題は論理的に考えよう」などとご託宣を下しておられる。
 こんなふうにしてPA戦略は進められてきた。


3.「緩やかなる死」(slow death)

 『原発への警鐘』の中で、米国の「マンクーゾ報告」を紹介している。アメリカのピッツバーグ大学教授(当時)、トーマス・F・マンクーゾ博士によって1977年末に書かれた報告書。放射線による被害に対し「緩やかなる死(スロー・デス slow death)」という言葉でもって警鐘を鳴らした。そのマンクーゾ博士が、日本からの取材者に応えて、ゆっくりと誠実な言葉で次のように語った。
「日本はアメリカに比べて国土も狭いし、人口も密集している。この広いアメリカでも原発の危険性が常に議論されているのに、狭い日本でもし原発事故が各地に広がった場合、いったい日本人はどこに避難するつもりでしょうか。日本人は、広島、長崎と二度も悲惨な原爆の悲劇を経験しているではありませんか」と。
 私はマンクーゾ報告を正当に評価なさる、京都大学原子炉実験所の原子力専門家の話も詳しく紹介した。
 今この国のあり方を根幹から考え直すこと、それが夥しい犠牲者に対する、生きている者のせめてもの責務ではないか。私はそう考える。
(終)

Reply · Report Post