批判が集中している最新号のAERAを読んだ。確かに、サリン事件をもわせる防毒マスクの写真にはギョッとするし、「放射能がくる」というタイトルは、福島原発問題に関して世の中が非常にナーバスになっている状況下で無神経だと思う。「放射能への不安」を煽ること販売を伸ばそうとしているという見方をされるのも致し方ない面がある。また、最初の「東京に放射能がくる」と題する記事は、「臨界」が起きる可能性を東電側が認めた、というだけで、その後の記事が構成されており、根拠薄弱で、表紙とタイトルに無理に合わせたという感は否めない。
 しかし、全体としては、今回の原発災害と、震災・津波被害の状況が、客観的に整理されて構成されており、現在の状況における週刊誌メディアの報道内容として価値は低くないと思う。
 とりわけ、原発災害に関しては、東電の危機対応の問題や放射能に関するデータの隠蔽を指摘する記事は価値のあるものだし、街全体が瓦礫と化した陸前高田市震災の被災状況の見開き2頁の写真は、大震災の想像を絶する被害を一目で実感できる貴重な画像である。
 メディアの報道には多様性が必要である。かかる意味では、原発問題に関しても、様々な視点からの捉え方、報じ方があってもよいと思う。AERAとの比較の対象とされる最新号の週刊ポストの「日本を信じよう」と題した表紙は、現在の状況での週刊誌の見出しとして好感度である。しかし、もし、仮に、すべてのメディアが同じようなトーンだったらどうだろうか。それは、「欲しがりません勝つまでは。銃後の守りを」という風潮の中で、一色に染まっていた当時の新聞等の報道と同じようなものだ。論調や報道内容にある程度の幅があるからこそ、その中で「日本を信じよう」というフレーズも引き立つのではなかろうか。
 無神経な表紙、タイトルに対して批判が行われるのは当然であるとしても、個々の記事については、冷静に読み、評価する姿勢が必要であろう。
 ただ、一つ気になるのは、今回、表紙、タイトルに対して強烈な批判を受けたことが、かえって社会的注目を集めることにつながり、販売部数の増加につながったと思えることだ。刺激的な表紙やタイトルは、決して不安を煽って儲けようとする意図によるものではないと思うが、結果的に利益につながったとすると、そのことに対する世の中の見方をされることは避けがたいであろう。
 朝日新聞は、この際、今回の号の売上の中からまとまった金額を被災地への義捐金を出すというのも一つの方法ではなかろうか。

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