「とおくてよくみえないものをみようとすること」横浜美術館 高嶺格:とおくてよくみえない 展評

 私にとって高嶺は、やわらかく、空気のような人間に感じられた。現在、横浜美術館で開催されている高嶺格の個展「とおくてよくみえない」は、これまで高嶺が活動してきた約20年間の創造に触れることのでき、高嶺格という人間像を想像させる展覧会であるように思う。

 美術館のエントランスに響く女性の声に合わせ、大きな布が揺れ靡く作品「野生の法則」。様々な方向に揺れる布は、女性の声と共にうごめく、おどろおどろしくも、一方で美しい何者かのようである。また、何よりもエントランスの大きな空間の中に閉じ込められた大きな生き物のようでもある。そしてこの大きな存在から「とおくてよくみえない」は始まる。

 高嶺は、展覧会と同名の作品「とおくてよくみえない」の中で、その行為に立ち戻るかのように、赤ん坊が何かを確認しようとする方法とも似た行為として、フェラチオを提示している。私たちは仮にフェラチオをしたことがあっても、日常の中でそのことを隠している。また、隠すことを当然だと信じ、たとえば美術館に行くという行動においても、他人に対し、自分に対し、見えなくしてしまっている。しかし、本来、フェラチオという行動は私たちにとってどんな意味を持っているのだろう。
 高嶺は、美術館でその行動を見せることを通して、この世の「とおくてよくみえない」ことと向き合う体験の瞬間を提示している。

 この展覧会で、高嶺の作品に見ることのできる共通項は、「この世に確かに在るが、見えないこと」が存在すること、そのことに真っ向から向き合うのはどのようなことかといったことだ。それらは普段は見えないものだし、私たち自身が日常の中で、見えなくしてしまっていることでもある。しかし、確かに存在している謎だ。

 展覧会と同名のこの作品は、二月後半から、さらに内容を変えた形で展示されることになっており、この展覧会自体は、三月二十日まで横浜美術館で開催される。その後は広島市現代美術館へと巡回する。

文:細川比呂志


「高嶺格:とおくてよくみえない」展
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2010/toofartosee/
会期:2011年1月21日(金)~3月20日(日) 会場:横浜美術館

高嶺格(たかみね ただす)
1968年、鹿児島生まれ、現在滋賀在住。京都市立芸術大学工芸科漆工専攻卒。岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー修了。主な個展に、2003年「在日の恋人」(NPO丹波マンガン記念館、京都)、2008年「[大きな休息]明日のためのガーデニング1095㎡」(せんだいメディアテーク、宮城)、2010年「スーパーキャパシターズ」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、香川)、「Good House, Nice Body ~いい家・よい体」(金沢21世紀美術館長期インスタレーションルーム、石川)。また2003年、第50回ヴェネツィア・ビエンナーレへの参加をはじめ、2004年、釜山ビエンナーレ、2005年、横浜トリエンナーレ(第2回)、2010年、あいちトリエンナーレなど、数々の国際展をはじめ国内外のグループ展に多数出品している。1993年から1997年にかけて、パフォーマーとしてダム・タイプで活動したほか、金森穣/寺田みさこらのダンス作品における舞台美術、音楽家の大友良英とのコラボレーションなど他ジャンルとの共同制作も数多い。近年は自らが演出を手がける舞台作品を発表し、演出家としても活動。

Reply · Report Post