★北京の街頭で襲撃され命からがら逃走に成功★
著名キリスト教弁護士・張凱氏の出会った北京の恐怖;

2010年12月13日の夜は家に帰らなかった。私は北京の南駅陶然亭の橋洞里にすんでいる。多くの上訴難民が、この寒さの厳しい冬を過ごしているあたりだ。どうして居るだろうと気になって一夜を過ごす事にした。

 その夜は北京が本格的な冬に入って一番の寒さだったが、彼らの中にはたった一枚のうすい掛け布団しかないものもおり、時には凍死したり病死したりすることもあるのだ。この人々の苦痛は私に無関係だ、などといえるだろうか。一番年をとっている人は80歳を超えている。もう52年もこの暮らしなのだ。一番若い人は25歳。当然、4、5歳の子供を抱えて上訴に北京にやってきた父親や母親もおり、子供は紫色の斑点がでていたが医者にかかる金がないので病気がさらに悪化するのをただ待つだけ。

 かれらこそ最も苦難に合っている人々だが、私は一緒にいるとなぜかちょっと心が休まる思いもする。一夜を過ごす中で、眠る事はなかった。天は寒く地は凍え、車の音がきこえるなか、にぎわう北京の一角のこのような見捨てられた場所で、それぞれが自分の苦難の歴史を持っていると思うと、万感こもごもの思いが胸をよぎる。

 14日、朝、橋洞をはなれ、昨夜のおおすぎる人々の苦労を記し、9時に家で寝た。午後2時に記者の取材をうけ、よる7時に会議にでて十時半頃会が終わったので友人の車で帰宅した。車が辅路から西から東へ薊門橋の近くにさしかかったとき突然、一台の車が私たちの車の前に突っ込み行く手を遮った。故意である。

 私たちはこれを回避すると、その車は追ってきて再び私たちの車の前に回り込み、右側にも別の車が進路を塞ぐ様に止まった。これはいかん、と私は車のドアをロックしてバックしようとしったが後ろからも車がつっこんできて、あっという間に逃げ場がなくなった。このとき前の車から10数人の下りてきてドアを開けようとしたがあかないので、今度は車の窓を壊そうとした。私たちの車の窓は防護シートで補強されているので壊れなかったが、バックミラーは壊されてしまった。連中の一人は自分たちの車からこん棒のようなものを取り出し私たちの車を叩きつづけた。
 
 このとき前の車が動いたので、左側にすこし隙ができた。このとき十人以上の人間が一台の車を叩き続けており、もし窓がこわされていたらどうなったかと思うとぞっとするが、私は強引に前の車のドアの方に車をぶつけて空きをつくって、そこから辛くも逃げ出した。後ろの車はすぐさま追いかけてきた。

 友人が警察に届けようというので、長安街までいけば一番安全だろうと判断して車をとばして長安街までいったところで追跡してきた車はやっとあきらめた。我々は一台の武装警察=公安と憲兵隊あわせたみたいな組織=のパトカーをみつけ、事件にあったことを届けたが、我々を襲った2台の車はナンバーがついていなかった。

 私はこの事件は背後に政府関係の黒幕がからんでいるとおもう。理由は①13日に帰宅しなかったのに、14日の夜襲撃している。連中は私の位置を正確に把握していた。この技術は一般人にはできないこと。②私の友人李和平弁護士、滕彪弁護士,刘沙沙女史ら、これまでナンバーのない車に襲撃、殴打されたケースは大変多く、それらはすべて後に政府関係の黒幕がいたことがわかっている。③10余人で3台の車、そして北京の主要道路で凶行するというのは普通の人にできる技ではない。だからきっと今回の事件も政府関係の黒幕が指図してのことだろう。
 
 この事件は警察には届けて、いまその処理をまっている。


fzhenghu Zhenghu Feng
北京著名基督徒维权律师张凯先生的博文:北京街头追杀,夺路而逃之经历。http://fzh999.com/show.asp?id=929
からリンクをたどって翻訳。

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