艾未未氏 @aiww:「喜梅」映画の字幕日本語訳

私は河南省新蔡県化庄郷出身です。



  劉喜梅と申します。



  1995年夏のある日の夜、麦の収穫の季節だった。



  一人で家で留守番するのは怖かったので、私は大人の農作業について行った

。手伝ってる最中に私はしゃがんで麦の束を採ろうとした時に突然に気を失った。
麦収穫機の長い爪のような物に、私の髪が巻き込まれ、頭皮ごと全部取れて気絶し
た。



1分10秒ーー1分40秒



  意識を取り戻したのは三日後の病院でした。目覚める前に彼たち(病院の人)が
輸血をしてくれた。
エイズの病菌が付いてる血でした。その当時、普通の病院での血液の売買が多くて、
全郷で何千人にも至った。
特に県の中、血液を売る人数え切れなかった。





1分40秒ーー2分10秒



  最初の感染者は僅か4人だった。感染したばかりの時、私は歩くことも出来な
かった。
2007年の時の調査によると感染者は二百人以上から一百人ぐらいに減ったが現在
まだ二百八十人に上った。





2分10秒ーー3分10秒



  2004年10月に私は入院しました。翌年から私は猫を飼い始めた、猫たちが
ずっと側にいて遊んでくれた。

ですから私は猫や犬などの小動物が大好き。今でも3匹の猫を飼っている。猫と一緒
にいる時は一番幸せ、心が癒される。
健康の人の前に出る時には私のことを普通に接してくれる人はもちろんいるけれど
も、口や鼻を塞ぎながら逃げる人が一杯いった。
子供にまで嫌われる。その時私は一匹の犬や猫の方が私よりずっと幸せだったと思っ
た。
世間の目の中、私は怪獣だった、凄い怖かった。





3分10秒ーー3分57秒

  

  皆はエイズって言う病気が悪いからこういう風にされてもしょうがないって言っ
てた。
最初私は汚いこと(性的の仕事)でもやってエイズになったと思われた、その当時私
自身もどうやって感染したか分からなかった。

いつも嫌な目で見られてた。輸血が原因と分かってみんなに説明をしてもなかなか信
じてもらえなかった。
その後、私と同じパターンで感染した子供が発覚して、やっと信用してくれた。



3分57秒ーー4分42秒



  病院に弁償を求めたけれども、病院側は輸血などの書類的な証拠がない、今エイ
ズに関しての治療費は既に国が全額負担してるなどの理由で弁償を断った。
今国から貰ってるのは毎月300元の薬代、年間3600元だけ、それ以上の薬代は
自分で負担するので私が入院してからの6年間の間、お金を全部使い果たした。





4分42秒ーー5分20秒



  家に帰りたくても兄の嫁が反対してるんで私を帰らせないようにいつも兄と喧嘩
してる。
エイズは伝染病、甥子がまだ小さい、近隣の目線やいじめが怖いなどを理由にしてま
す。
たまに帰っても甥子と遊ばしてくれないし、義理の姉もまったく喋ってくれない。
ですから家には私の居場所がない、病院に住みたくなくても住むしかない。





5分20秒ーー6分10秒



  私は病院のずっと奥の裏庭に一人で暮らしている。他の患者はいなくて薄暗いと
ころで猫と私だけです。
病院の医者や看護婦も私のことをほったらかし、何か病気の症状があったら処方箋を
出すだけです。
タダで貰える薬は100種類だけ、それ以外の薬は全部自払い、買えなくても自己責
任って言われて終わりです。





6分10秒ーー7分00秒



  今飲んでる薬は前のと違って副作用のある痩せやすい薬です。
飯を食べても痩せは止まらないです。この足は副作用のせいで痩せて変形した。
この手足の変形は2004年の時発病した時からです。その前は普通だった。
政府の言ってることもいつも守らない。最初は食糧やお金や日用品を援助するって
言ってるけど何も貰えなかった。




7分00秒ーー8分14秒



  一昨年、私は政府との関係が悪くなった。県委員会、郷政府、民政局に何度も
行った。一杯泣いた。
その時、何か知らないけど些細のことで涙を溢すことになります。周りの人になぜ政
府にもっと文句付けないって聞かされて、

私は問題を解決してほしいだけ、やってくれなくても文句を言わない。
村の人は私が可哀想だから布団を2セット援助してくれた。
経済的は収入がないのはみんな知ってるように、66歳の伯父さんが建築現場で夏冬
にも関らず深夜まで仕事して苦労した金で私の面倒を見てくれている。





8分14秒ーー9分07秒



時々、私が一文無しになったら病院の病人たちが可哀想と思って、30元、50元、
100元で援助してくれる。

(記者:国からは補助ないですか?)

国から貰ってるのは60元の最低の保障額だけ。

(記者:60元でどの位生活できる?)

毎月60元です。

(記者:毎日2元で生活できる?)

国はそういうことが関係ないです。しかも60元も今年から貰ってる。

(記者:以前はいくらだった?)

最初は8元から12元、15元、20元、30元、やっと今の60元になった。





9分07秒ーー10分35秒



  私は住む部屋の問題で何回政府に行っても県長に会わせてもらえなかった。

部長の所に行けって言われ、私は何回も部長と会ったことがあって悪い態度で拒否さ
れるだけ、それを聞いてやっと県長に会えた。
私の事情を聞き手紙を書いてくれた。この手紙で郷の書記のところ行けば解決して貰
えるって言われた。
その時は県長は嘘つかないと思って信用して「郷の書記を訪ねたらいいですよ、帰っ
て待ちなさい」っていわれた。
でも何年経っても他の人の部屋が建っても私の部屋問題は解決してない。
聞くと補助資金がおりなかったことを理由にした。
書記はもう部屋を建ってもらうのを諦めて少し金をあげるからそのまま病院で住めっ
て言われ、私は断った。





10分35秒ーー11分40秒



  今年正月の五日目、私ひとりで北京に上訪(上訪:地方で理不尽の事がありまし
たら、北京へ控訴すること)しにきた。
一泊10元の宿で20日いた。郷政府の人にばれて電話を掛かってきて、帰って来
いって言われた。

私は部屋問題を解決してくれるんですかって聞くと答えは出てこない。
ただ帰って来ないと捕まってやるって脅かされた。
それを聞くと私は強気でどうせ住むところもないなら捕まってもいいよって答えた。
それを聞いて向うはまた解決するって言い出した。それを信じて、私は帰ることにし
た。
でも解決することはなかった。今回2回目の上訪前まで、私は郷政府に何回も電話し
たり行ったりしたけどずっと私のことを避けてた。




11分40秒ーー最後



  今私が望んでるのは政府から生活費の補助と住む部屋の解決です。
最近私たちはエイズ基金会を立ち上げた。

エイズを患ってる人たちをお互い助け合ったり、社会から寄付を貰ったりしてます。
今まで社会からもいろいろの寄付金があったと思うけど私たちのところまで回ってこ
ないです。
政府に問い合わせしても返事がないです。
これからこのエイズ基金会が私みたいな人を一杯手助けできるように願います。
(翻訳;ししろーふぁみりー)

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