クリスチャンとお酒

『クリスチャンがお酒を飲んでいいんですか?』よく聞く質問です。
お酒を飲むことは罪でもなんでもありません。まったく自由ですよ。
聖書は人をしばるルールーブックではありません。人は行いで救われるのではなく
イエスが私の罪のために死んでくれたと信じて救われます。

問題は、『神があなたに何とおっしゃってますか?』ですね。
それらは個人個人の問題なのです。

よく耳にするのに、『イエスさまもお酒を飲んでいます』とか
『私たち改革派はお酒はいいんですよ』とか・・・『バプテスト派もうんぬん・・・』
という話です。そんなところに教派を持ち出さないで欲しいです。

『クリスチャンがお酒を飲んでいいんですか?』って、
問題は、あなたが、なぜその質問をするのですか?が問われるべきことではないでしょうか。
その動機が問われます。許可が欲しいんでしょうか、聖霊の悟しに勝つ人からの許可が欲しいのですか。

 私はこう考えます。
アルコール障害に陥る人がいるのであるなら、その人たちをつまづかさせないためにも
僕は一切のお酒を飲みません。ただし、家内と結婚記念で海外旅行にいってディナーの前にワインで乾杯をし
二人でお祝いするのに何の問題もありません。かと言ってそれを大声で言う必要もありません。

私は、教会の集まりでは完全に『禁酒、禁煙』です。ちょうど学校のクラスや部活中がそうであるように。
また、教会員同士で飲むこともありません。その集いをFelloeshipという使徒の2:42にあるような集まりと考えるからです。
これは私がそう決めたんです、自分の主にある歩みのために。

1コリント 8:9
ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。

1コリント 8:11
その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。
キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。

この問題は、どこの教派はどうでどう、この教派はこうなんてことではありません。
ひとりひとりが主に聞いて、力を受けて従う問題です。飲んでもどうもないと主張する人が、
飲んで支障のある人を助長すべきでもありません。弱さをになうべきです。

確かに聖書では以下の箇所があります。しかし、大切なのは主がそうおっしゃられた本意を受け、
Can or Can notのルールではないと言うことです。
ただし、聖書がいう「目を覚ましていなさい」というのは「しらふ」ということです。

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テトス 1:7
監督は神の家の管理者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、

エペソ 5:18
また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。

1テモテ 5:23
これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい。

1コリント 6:10
盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。

1コリント 5:11
私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、
貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、
そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。

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私はこのことについての議論は不必要と思っています。それはそれぞれが、
「学んで確信したところにとどまっていなさい。 2テモテ 3:14 」とある通りです。

成人である者はみな、このような考え方をしましょう。
もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、
神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。 ピリピ 3:15

 最後に『とは言えども、ビジネスマンの世界では・・・』という声をききますが、
そんなもの本人次第です。肝臓に障害のある人にもで飲ませるビジネスがないのと同じです。
車を運転する人に飲ませることが罪になる時代です。
クリスチャンだから飲んじゃダメなんですではないんですよ。
どうかそんな誤解を与える逆証しをしないで欲しい。
『私は飲まないことにしてるんです。』とハッキリ言って妨げになることは、まずありません。
クリスチャンがお酒も飲まずに、かえって堅苦しく思われる・・・と主張する人には、私は
聖いということばは、別けられたという意味で、所属が変わったということですよと教えています。

 僕は『飲まないことにしてるんです。』とハッキリ言ってビジネスの世界で生きてきました。
少なくとも私に関しては何の問題もなかったです。お葬式の焼香と同じです。『無礼者!』と言われたことは
一度もありません。誠意をもってせっすれば十分に通用してきました。
私はキリスト以外の何者にも支配されたくありませんからね。
私の群れではお酒を常時飲用してる人をリーダーに置きません。だって、サタン相手に24hr戦ってますからね。
お酒を飲んでバッターボックスに立たないのと同じですよ。ある婦人は25年毎晩、飲酒をしていたのがある日を
境に飲めなくなりました。そしてお酒の夜から自由にされたのです。それはシンプルな祈りからでした。

もちろん反論のある方々が多くおられるのは存知あげております。
ただ、わたしはこのように信じ、このように行ってますということを書きました。

すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。
私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
1コリント 6:12

主の豊かな力がみなさまの上にありますように。

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