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27th Apr 2010 from Twitlonger

【ドキュメンタリー『チェルノブイリ原発 隠されていた事実』書き起こし】

※YouTube動画
http://www.youtube.com/watch?v=b0-AWtxkrjE
http://www.youtube.com/watch?v=bYlJC6ijpuY
http://www.youtube.com/watch?v=fiW10XUnkaw

本放送:1997年8月15日放送(NHK)
制作:ミルトン・メディア、デンマーク放送協会(デンマーク1997年)

 1992年、ウクライナ政府は石棺が崩壊する危機をかわす解決策を求め、国際コンペティションを行った。その中で仏英独専門家で構成された合同チームは、新たに石棺を作り、元の石棺を密閉することを提案した。合同チームは広範囲に渡る様々な資料を基にして報告書を作成した。報告書によれば原子炉内部には、10万立方メートルの放射性物質があり、そのうちの4万立方メートル分は放射能レベルの非常に高いものとされている。もしそれが本当なら、石棺はあふれるほどの放射性物質で満たされていることになる。そのような状況下では、完全防備をしていなければ、とても石棺の中へ入れるものではない。

核物理学者K・チェチェロフ:「チェルノブイリ原発に関して一般に知られている情報で、現実とそぐわないものはたくさんあります。チェルノブイリの現役の職員はもちろん真実をを知っているでしょう。でも心の中で笑って、表面的には押し黙っているしかないのです。」

 長年に渡って分析を重ねた結果、合同チームの専門家たちは、次のような結論を出した。「石棺は地震などの天災で倒壊する危険がある。Bブロックは基礎の安定性に問題があり、地震で倒壊する危険がある。第二のシェルターの建設は急務である」。

 問題は新しい石棺を建設する莫大な費用をどこで調達するかである。チェチェロフは、新しい石棺を作るより、今の石棺を壊して中の原子炉を取り除いた方が経済的かつ効率的だと考える。「余った費用で稼働中の原子炉を永久に封鎖させるべきだ。なぜなら、チェルノブイリ周辺では、地震発生の危険性が高いから」。チェチェロフはそう言う。

地球物理学者(ウクライナ)V・オメルチェンコ:「私たちはヨーロッパの合同チームに協力し、地震に関するデータや報告書を、全て合同チームに提出しました。チェルノブイリ原発は、テテロフ断層とプリピャチ断層という二つの大きな断層の接点にあります。そこはウクライナ楯状地と、プリピャチ川が交わる場所です。」

 断層は地殻の中の亀裂である。地震の多くは断層の所で発生する。亀裂に蓄積されていたエネルギーが突然放出され、断層がずれ動く。その時の振動が地震波となって、震源からあらゆる方向に伝わっていくのだ。

核物理学者K・チェチェロフ:「あの事故が起こるはるか前から、当局は、原子力発電所等を断層の上に建設することに対して何の注意も払ってきませんでした。そのような危険な設備に対しての立地の基準も、建設の基準も、全く定めていないんです。ですから、設計士たちが従わなければならない基準は何もありません。断層からどれくらい離れていなければならないかなど、誰も考慮していないというわけです」

 危険地域に建設されている原子力発電所はチェルノブイリだけではない。チェルノブイリと同型の原発を建設する際に考慮されたのは、軍事・戦略的な要素だけで、地質学的な要素は無視された。
 リトアニアのイグナリナ原発も例外ではない。チェルノブイリの事故の後、ロシアとリトアニアの専門家たちは、イグナリナ原発の地質を分析した。調査をまとめた1989年の報告書によれば、イグナリナ原発は事故の危険にさらされている。しかし、当局は地質学者たちの警告を無視している。

地震学者(リトアニア)P・スベイスディズ:「私たちは何年にも渡ってイグナリナの地質を調査してきました。いくつかの調査の結果をまとめてみると、イグナリナには地殻に断層が無数にあることが分かりました。そうした断層の深さは10m~数百mと実に様々でした。断層が動くと地震が起きます。イグナリナ原発のような大きな施設に影響を及ぼす可能性があるのです。実際、イグナリナのすぐ近くを震源とする震度4ほどの地震が1908年に起きているのです。イグナリナの建設地が地殻変動が非常に活発な3つの断層の合流点にあるということは、地震が起きやすいことを意味しています。」

核物理学者K・チェチェロフ:「チェルノブイリ原発で事故が起きたとき、当然ながらその晩発電所にいた人はみんな事故に巻き込まれました。制御室にいた人であれ、タービン室にいたひとであれ、全ての人が事故の発端に気づいたと言っています。どの人も、事故が低い地響きのような連続音で始まった、と回想しているのが実に興味深い点です。低い連続音の後に、床が揺れ、壁が揺れ、そして天井から破片が降ってきたと言っています。みんな口を揃えてそう語っているのです。それから地面が動いたと。はっきりとあれは地震だったと言っている人さえいるのです。」

 1990年にウクライナで制作された報告書には、あの晩作業していた20人の証言が記録されている。それによると、原子炉の緊急停止前に振動が始まった。興味深い証言を含む報告書の重要性は、なぜか全く認識されていない。

「雷のような音がして、天井からタイルが落ちてきました。」「床が波打ち、電気が消え、非常灯がつきました。その30秒後、耳をつんざく音がしたのです。」「7号基の近くで屋根が抜け落ち、突然機械室の電気が消えました。」(報告書に記載された作業員の証言より)

核物理学者K・チェチェロフ:「地震を体験したことがない人なら分からないでしょう。しかしこの場合は、地震動が床を揺さぶっています。その振動の後に激しい揺れと衝撃が走り、電気が消えています。電気が再び点いた時、原子炉の停止が決定されました。これが重要なポイントです。最初に激しい揺れと強い衝撃が走り、その後で原子炉の停止が起こったのです。」

「辺り一面に粉塵が舞い、電気が消えました。電気が再び点いたとき、屋根を突き抜ける光を見ました。」「壁、天井、そして足下の床が揺れました。二度目の爆発は小さなものでした。射し込んで来る光を通して破壊の様子が見えました。光は様々な色が混ざり合ったもので、地上100mの高さまで上昇しました。」(報告書に記載された作業員の証言より)

 作業員の証言とチェチェロフの調査結果は、ソビエトが11年前に発表したものとは別の原因があることを示している。

核物理学者K・チェチェロフ:「1986年当時では予想もつかなかった驚くべき事実が分かりました。当初原子炉を取り囲んでいる水タンクは、事故によってすっかり破壊されたものと思われていました。しかし、そのタンクはほとんど被害を受けていません。かすかな損傷があっただけでした。原子炉の内部では、塗料はほとんどそのまま残っていました。原子炉の中はメチャクチャになっていると思われていましたが、実際には四分の一ほどしか被害を受けていなかったのです。原子炉の黒鉛性のブロックは熱で溶けたか燃焼したかして損傷を受けています。詳しく調べてみると、まるで酸素溶接のトーチを使ったかのようです。非常に高温の火災が起きたような印象を受けるのです。パイプの束は燃えた箇所で完全に焼き切れています。ところが、そこからあまり離れていない場所の塗料は何ともないんです。もし事故が非常に高温で起きたものであって、局所的なものでなかったとすると、塗料は残るはずがありません。こうした情報がたくさん記録され、写真やビデオカメラにも収められているというのに、公式の説明には何も盛り込まれていないんです。」

 ウクライナが報告書を発表した後、地球物理学者のチャタエフは、チェルノブイリ原発の事故原因を地震に結びつけた論文を発表しようとした。チャタエフは重要な証拠を握っていると主張していたが、命の危険を感じ、それを公開することはできなかった。そして1995年、突然行方不明になってしまった。

核物理学者K・チェチェロフ:「チャタエフは住んでいたアパートをを売り払い、仕事も辞め、姿を消してしまいました」

 チャタエフが姿を消したのと同じ頃、彼が作成した資料がモスクワで発見された。

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「私はもうかれこれ8年間も、モスクワにある、この地球物理学研究所の所長を務めています。科学アカデミーの会員であり、数学と物理学の教授でもあります。1995年3月に、初めてチェルノブイリの地震記録を見せられたとき、即座にその重要性に気づき、それを公表すべきだと思いました。地震学者でなくても分かることです。なぜなら、原子力発電所はチェルノブイリだけではないからです。チェルノブイリの事故が地震による影響を受けたのだとすれば、それは他のどの地域でも起こりうる問題です。無邪気にも私は、地震の記録を公表しさえすれば直ちに支持を得ることができ、全てを客観的に説明できるようになると考えていました。残念ながら、私の考えは間違っていました。」

 地震の記録は、軍の秘密の観測所で観察されたものだった。
(チェルノブイリの西、NORINSK、GLUSKOVITJI、PODLUBYの地名の記された地図が表示される。)

地震学者(ウクライナ)F・アブタカエフ:「チェルノブイリ原発の近くに地震観測所が設立されたのは、1985年のことでした。事故発生当時には、チェルノブイリから西へ110km~170km隔てた所に3ヶ所の地震観測所が設置されていたんです。この3つの地震観測所は、地元の地震を観測する目的で造られたものではなく、遠方の核実験を記録するためのものでした。(資料を見せて)これがチェルノブイリに最も近い観測所の地震記録です。」

 地震の記録があるにもかかわらず、当局は事故当時、地震が発生したという説を否定している。チェルノブイリは地質的に安定した場所だというのだ。

地震学者(ウクライナ)F・アブタカエフ:「反論者たちは、チェルノブイリ原発が建てられているのは、昔からある安定した地盤だから、地震が起きるはずがないと主張しています。でも、観測所の記録には地震の記録がはっきり捉えられていますし、事故の後にも地震が記録されているんです。つまり、チェルノブイリ地域が地震が頻発する場所であることは明白な事実なのです。」

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「国際原子力機関(IAEA)に提出した報告書で述べた通り、私たちは出火時刻と爆発時刻の比較検討を行いました。その結果、チェルノブイリ近郊で起きた地震は、多少誤差があったとしても、爆発の22秒前、あるいは23秒前に発生したと考えられます。原子炉本体を破壊することはない比較的小さな地震でも、内部の設備や冷却系統に被害をもたらすことは十分に考えられます。冷却系統には1600本のパイプがあります。発電所の操作マニュアルによれば、このうち20本が破裂した場合、事故があると見なされます。そして、それ以上、つまりパイプが20本どころか、50本とか100本とかの単位で破裂した場合、冷却機能に支障が出るのです。」

 地震記録によれば、チェルノブイリの事故当時に発生した地震は、狭い範囲で起きたもので、しかも震源地は発電所のかなり近くと思われる。

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「データによれば、揺れは大して大きなものではありません。しかし4号炉の下あたりには、固い変成岩の地盤の下の、深さ450mに断層が存在しています。ですから、震度4ほどの揺れでも、この断層が発電所やその設備に深刻な影響を及ぼす可能性はかなり高いのです。」

 チェルノブイリの業務日誌に記されているデータを元に、事故の証言を加えていくことによって、チェチェロフたちは事故の新たな真相を浮かび上がせた。事故発生の1時間半前、漁師たちは爆発音を聞いている。震源の真上に位置する中央建家にいた作業員は異常なほど慌てふためいていた。コンピュータセンターの責任者は、中央建家で青い光を目にした。ここで地震が起きる。地鳴りのような音に続いて、4号炉が振動する。運転員が強い振動に気づき、緊急停止ボタンを押す。振動はさらに強まる。衝撃と共に柱が揺れ、タイルが落下し、機械室の中で…(動画ファイルの境目につき聞き取れず)。ここで強い揺れに見舞われ、原子炉が爆発する。17分後、運転員はもう一度爆発を記録している。このときには地震は収まっており、この爆発は地震記録にはない。

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「爆発が起きているなら、それは地震記録に記されているはずです。しかし実際には記録されていません。その理由は簡単に説明できます。このときの爆発では、すべてのエネルギーが上に向かって放たれたのです。爆発のエネルギーは地下には伝わらなかったため、記録には残っていないわけです。」

 大規模な爆発なら、全てのものを破壊するはずです。しかし、いくつかの部屋は被害を受けていません。原子炉の中に振動が伝わったのはたしかです。コンクリートの固まりが何カ所かで落下し、太い鋼鉄のパイプが水平方向の力を受けて曲がっています。

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「ようやく大がかりな調査が行われました。私が、わが政府の最高諮問機関である安全保障会議と、その下の科学委員会に手紙を書いたのです。科学委員会の会長は、ロシア科学アカデミーの会員でもあるアレクセイ・ヤブロコフです。彼の対応はいかにも上級の役人らしいものでした。私の手紙を読んで、調査を始めさせたのです。」

 ロシアとウクライナ共同の調査団が設置された。調査団が1996年に作成した報告書の結びには、事故の20秒前にチェルノブイリ地域一帯で地震が発生したことが記されている。この調査結果を否定する専門家たちは、発電所での時間の記録が間違っていると主張している。しかし地震学者のアブタカエフはそれをきっぱり否定する。

地震学者(ウクライナ)F・アブタカエフ:「原子力発電所には、発電所の中における技術工程を監視するため、制御装置と計測装置が導入されています。発電所にはクォーツ式の時計が備えつけられていて、あの晩24時に時刻を合わせたばかりでした。つまり、事故発生の1時間ほど前に時刻を合わせたばかりだったので、時計の精度はかなり高いのです。ですから、あの事故に関して我々が持っているデータは、時間に関する限り非常に正確です。あのとき、たしかに地震は発生していたのです。」

核物理学者K・チェチェロフ:「4号炉の中の様子はこの目で見ました。溶けて流れ出た金属は、障害物があったため、行く手を遮られ、その障害物の上へと流れ、そのまま固まっています。その様子は写真にも収められていますから、今でも見ることができます。溶けた金属は秒速5mで流れ出たと考えられます。1秒間に5mはかなりのスピードです。ゆっくりした動きではありません。溶けた金属は原子炉から50m弱流れていますから、10秒間の出来事であったことが分かります。そして、床に広がる間もなく、短時間に固まっているのが特徴です。」

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「事故当時、原子炉の中には人がいたという事実も見逃せません。当初、溶けた物質は原子炉から落ちたもので、非常に強い放射能を帯びていると考えられていました。しかし、実際には放射能はそれほど強いものではなかったのです。
 これはとても重要なことを示唆しています。つまり、全ての出来事が短時間に起こったため、原子炉内の物質が落下する時間もなかったということです。」

 KGBの文書にはこう記されている。「環境に危険を及ぼす放射性物質の効果を明らかにするような事故後の炉心に関する情報は、全て極秘にせよ」。ロシア国内で放射能汚染の度合を調べることは困難だが、国外では可能だ。国外での調査によれば、放射性物質の放出量は、ロシアが公式に発表している数値をはるかに上回っている。ということは、原子炉内に残っている放射性物質は、これまでに考えられていた量より少ないということである。

核物理学者K・チェチェロフ:「放射性物質の96%は原子炉内にあり、大気中に放出されたのはわずか3~4%だと言いますが、私はその逆だと思います。」

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「純粋に、地震学的見地に立ってあの事故を検証してみると、爆発前に地震が起きた、という結論が引き出されます。この結論は完全に正しく十分に根拠があるものです。
 原子力発電所の稼働には大量の冷却用水が必要となることは、揺るぎない事実です。したがって、原子力発電所はどうしても川岸などの水辺に建設せざるを得ません。そして概して、川は断層に沿って流れているのです。ですから、冷却用水を確保しようとすると、必然的に断層の上に建設する結果を招いてしまうのです。これが実態です。」

 ロシアの地質学者によれば、旧ソ連の領域には、立地に問題のある原発が8ヶ所ある。チェルノブイリ(TJERNOBYL)、ロブノ(ROVNO)、カリーニン(KALININ)、ベロヤルスキ(BELOJARSK)、クルスキ(KURSK)、サスノビボル(SOSNOVI BOC)、サホロスク(SAPORSK)、――そしてイグナリナ(IGNALINA)。とりわけ危険だといわれる現在のリトアニアにある原発だ。

世界銀行産業・エネルギー部元部長A・チャーチル:「これまで原子力政策で主流だった考えは、何も対策を講じない、というものです。つまり、現存する原発は稼働を続け、建設中の原発は完成させるという考えです。今は新しい原発を建設しないというだけの話です。昔からあるチェルノブイリと同じ型の原子炉は今でも稼働を続けています。事故以来、あのタイプの原子炉で自主的に閉鎖されたものはありません。ソビエト時代に作られた昔の小型の原子炉も、未だに全く閉鎖されていないのが原発です。世界中どこでも基本的には何の対策も講じていないんです。」

 ヨーロッパ諸国が経済的負担を分かち合えば、東ヨーロッパの危険な原発を閉鎖し、代わりに他のエネルギーを使用することも可能だ。しかし、それが実現していない背景には、原子力産業界の圧力が関わっているのだろうか?

世界銀行産業・エネルギー部元部長A・チャーチル:「ヨーロッパの原子力産業界は、大きな権力を握っている圧力団体です。政治家はこうした相手を敵に回すことにためらいを感じています。そしてまた財政面でも、原発の廃止にかかる費用を納税者に求めなければならないことにも尻込みしているのでしょう。もちろん結局は、危険な原発を抱えている国自体が、原発を廃止する計画には乗り気ではないのです。」
(終)

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